小学5年生の時
中学生の兄貴と二人で納豆売りをした
輪西町の太平洋側は、急な山になっていた、それでも家を建てて住んでいる人はたくさんいる
室蘭は平地が少ないので、そういう所にまで家を建てるのだ
車道は通っているが、遠回りしないと上まで行けない
歩いていく場合は急な階段や坂を登っていく
店なども無いので、不便な場所だった
僕の家は飲み屋をやっていたので、町の繁華街にあった
兄貴は、前の日に家の近くで納豆と卵を仕入れ、3円から5円ほど上乗せして山の上で売ることを考えたのだ
面白そうだったので、僕も付き合った
登校前に二人で納豆と卵を抱え、山の上に行った
少しだけ売れたが、そんなにぼろ儲けってわけでも無い
二回目の時に兄貴が崖から落ちて、卵が全部割れてしまった
おまけに、風邪もひいてしまい、納豆売りはそれでおしまい
残った納豆と卵は家族で食べた(笑)
兄貴が鑑別所へ行った後
僕は小学6年から新聞配達を始めた
北海道で一番読者が多いのは、今でも「北海道新聞」だと思う・・・
僕が配達していたのは「北海タイムス」と「室蘭民報」
室蘭民報は(確か・・・)朝刊だけの新聞で、4ページしかない
でも、室蘭市内の記事は細かいので、それなりに読者は居た
一か月の新聞配達代は1000円
室蘭民報の新聞代金が500円の頃だ
当時、新聞配達をしていたのは、小学生と中学生
みんな徒歩で配達していた
冬は大変だった
中学に入る時に室蘭の外れの本輪西に越したので、中学一年生の時は新聞配達はやらなかった
二年になって同級生に紹介してもらい
今度は「北海道新聞」の配達を始めた
自転車に乗れなかった僕は、やっぱり徒歩(今は乗れます)
配達代は3000円から5000円だったと思う
室蘭では、元旦の新聞は大晦日の夜に配達していた
みんなが紅白歌合戦を見ている頃、分厚い新聞をソリに乗せて運んでいた
中学卒業まで新聞配達を続けたので(もちろん朝夕刊)
夕方放送している子供番組はほとんど見ていない
アニメも全然見る時間が無かった
日曜日には近くのゴルフ場でキャディのバイト
中学生と高校生、たまに大学生も来ていた
これは結構儲かって、一日1400円が最高の儲けだ
少ない時は700円
バイト連中の休憩室は、本職のキャディさんと同じ建物にあったので
キャディさんの着替えを見るのが、僕たち男連中の楽しみのひとつでもあった
キャディさんは若い人もいるが、ほとんどがおばさん
そんなおばさんの下着姿見て興奮していたなんて・・・若かった・・・
つづく