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 何日か経つと、詠子もここの生活に慣れてきた
携帯は無い、CDも無い、テレビはほとんど白黒、ゲームも無い
2012年に比べると無い物ばかりだが、そんな生活、慣れてしまえばどうってことは無い

詠子が慣れてきたのを見計らって、16歳の俺に会いに行くことにした
場所は三鷹
まだペデストリアンデッキも無い駅前、第九書房が南口駅前にあり、その二階が名曲喫茶「第九」
近くには名画座三鷹オスカー
ジブリ博物館もまだ無いころの三鷹駅は落ち着いた田舎の駅という風情だ
ここから三鷹車両センターに向かって歩いて行くと、すぐに俺の実家がある
当時の父母に会ってみたい気もするが、今回は止めておこう

「どこ行くの?」
「知り合いに会いに行くんだ」
「どんな知り合い?」
「・・・まあ、親戚ってやつかな」
「ふ〜ん・・・でもここが三鷹なんてすごいわね・・・信じられない」

仕方なく詠子にはここが1969年の世界だと言う話しはしてしまった
他に良い案が浮かばなかったのである
スバル360がタイムマシンだとは言わなかった
勝手に操作されて一人で帰られたら大変だ
何か時空の割れ目にはまりこんでこの時代に来てしまった
という適当な話しに「ふ〜ん」と言っただけだ
納得したのかどうかは、よく分からない
それでも、連れてこられた時のような反抗的態度はもう取らなかった
自分の住んでいた世界の、色んなものから解放されて、スッキリしているようにも見える

実家に着いた
「詠子、この家に山田健司って言う高校生が居る、そいつを呼んでもらえるかな」
「・・・おじさんの名前、何だっけ?ヤマダケンジって言わなかった?」
「お・・・俺は、山田健次郎だ、健司じゃない・・・」

ホントは山田健司だが・・・二人とも山田健司では紛らわしい・・・

「そうだっけ?まあいいや」
詠子は玄関の引き戸を叩いた
俺はあわてて隠れた

母が取りついでくれた
懐かしい母の声を聞いて、俺は涙が溢れそうになった
母は五年前に亡くなっているのだ

16歳の俺が出てきた
不安そうな声が聞こえる
そりゃそうだろう、突然見も知らぬ美少女が訪ねてくるのだから・・・

俺が隠れているところに、二人が来た
16歳の俺は、59歳の俺を見て眉を顰めた
「何か用ですか?」

俺は顔一杯の笑顔で
「私、URCの山田と言います、初めまして」
そう言って名刺を差し出した
16歳の俺は怪訝な顔で名刺を受取る
「URCと言うのは、アングラ・レコード・クラブの略称でございます、今回、自主制作で、いろんなフォークシンガーのレコードを通信販売で配布することになりました、いま予定しておりますのが、岡林信康先生と五つの赤い風船先生のアルバムでございます、第二回、第三回と配布していく予定でありますが、第二回以降、ぜひ、山田健司先生のアルバムも配布させていただければと思って、本日参上したわけでございます」
山田健司キョトンとしている
「よろしいでしょうか?」

「えっ・・・あの・・・どういうことだかよく分からないんですが?」
「簡単に言いますと。プロのフォークシンガーとしてデビューしませんか!と、こういうわけです、はい」
急に表情がほぐれて、声のトーンが高くなった
「ホントですか?」
「ホントです」
「でも、なんで?・・・僕なんかを?・・・あれ・・・もしかして・・・デビューさせてやるから、金を出せとか、そういうやつ?」
俺は昔から疑り深い性格だった

「いえいえ、お金は一円もいただきません、とりあえず、細かいお話しをしたいので、明日夕方、新宿の名曲喫茶風月堂にご足労願えますか?」
「は・・・はい・・・それはいいですけど・・・」
「それでは失礼いたします」
帰り際、詠子はニッコリと山田健司に微笑みかけた
相棒としては、なかなかいい笑顔だ
茫然としたままの16歳の俺を残して、二人は三鷹駅に向かった

駅が近づいてきたころ、詠子がボソッと言った
「おじさん、嘘つきなのね」
俺はちょっとあわてた
「いやいや、これには親戚間の深い事情があるんだ、あの子には内緒だぞ」
「いいけど・・・あたしには関係無いし」
「それはそうと、あの子、詠子より一つ上の16歳だけど、どう思う?」
「どう思うって・・・意味分かんない?」
「詠子の好みかな?」
「ちっとも」
「そんな簡単に言うなよ、あいつにはフォークシンガーとしての才能があるんだ、将来有望だぞ!」
「ふ〜ん」
興味は無さそうだ
まあ、一目惚れなんてことは滅多に無いもんだし・・・長い目で見て行こう

「どうだ、名曲喫茶寄って帰ろうか?」
「やだそんなの」
仕方なく駅前の甘味処に入って蜜豆食べた


つづく







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  • 13:57
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Comment
そうなのか!1969年当時は三鷹大映だったんですね・・・失礼しました(^^;ウソ書いちゃいました
  • しぎの
  • 2012/01/12 16:18
気になって調べたら、『「三鷹オスカー」は元々「三鷹大映」という封切館で、
大映倒産後(1971年頃)に「三鷹東映」になり、その後1977年に名画座の「オスカー」になった。』って事です。
  • mogi
  • 2012/01/10 16:50





   
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