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 その日も私は中年の健司と16歳の健司の三人で、新宿の歌声喫茶「ともしび」に行ってきた
三鷹に帰る健司は中央線に乗り、私と中年健司は西武新宿線に乗った
中年健司は「北山和彦」と名乗っているが、本名は山田健司、16歳の健司の未来の姿だ。
そのことを16歳の健司は知らない

「いつまでこんな生活続けるの?」
私と中年健司は各駅停車に乗っていた
59歳の健司が「座りたい」とボソッと呟いたので、混雑している急行は避けたのだ
還暦まじかの健司は最近ちょっと疲れ気味だ

「えっ?こんな生活って?」
「あの子をフォーク歌手にしようって生活よ」
健司は面倒くさそうに頷いて「フォーク歌手になるまでだよ・・・あの子がフォーク歌手になって有名になれば、詠子だって嬉しいだろ?」
「別に嬉しくはないわよ・・・それに、考えたことはあるの?あの子がフォーク歌手になるってことは・・・未来が変わるってことよ」
「そうだよ、未来を変えたいから、こんなことしてるんじゃないか」
「未来が変わったら、あなたは存在しなくなるかも知れないのよ?」
「ああ・・・そのことか・・・そんなこと気にしてたら何にも出来やしない」
「そんなことって・・・大事なことじゃないの」
「俺が存在しなくなるとしたら・・・誰が俺になるんだ?」
「そりゃもちろん、16歳の健司が成長してあなたになるのよ、いや違うな・・・あなたになるわけじゃない、59歳の健司になるのよ、その59歳の健司があなただとは限らないってこと」
「・・・俺はエロ漫画ばっかり書いてたからな・・・SFのことはよく分からない・・・だけどほら、ドラえもんって漫画あるだろ、あれに出てくるノビタはホントはジャイコと結婚するはずだったんだ、しかし頑張ればシズカちゃんと結婚出来る可能性があるんだ、ジャイコと結婚するノビタもシズカちゃんと結婚するノビタも、同じノビタだろう?」
「それは漫画のことじゃない・・・ちゃんとしたSF小説では未来が変わってしまうのよ」
「それだって小説の中のことだろう、誰もホントのことは分からないんだ、タイムマシンで過去に行った人間なんて、誰もいないんだからな」
健司は勝ち誇ったような顔で私を見た
中年男のこういう顔は憎たらしい

「・・・私、元の時代に帰りたいな」
こういうと健司はいつも困った表情になる、時々こうやっていじめたくなるんだ
「詠子だって楽しいって言ってたじゃないか」
「まあね、楽しいわよ、新鮮よ、でも私にはこの時代に居る目的が無いもの・・・毎日ぶらぶら16歳の健司くんと遊んでばかり・・・家に帰ると59歳の健司くんが居て・・・私の話し相手は健司くんだけじゃないの」
59歳の健司は困った顔をして口を尖らせた
困るといつも口を尖らせる、それが面白くていじめてるっていうのもあるけど・・・私ってSなんだなあと思う・・・

「働いてみようかな?」
「働く?」
「うん、働いてみたい!」
何気なく言ったセリフだったけど、口に出してみるとホントに働きたくなった
それが一番いい考えだと思えた
「決めた!私働く!いいでしょ?」
健司は更に口を尖らせた
「う〜〜〜ん・・・」
私は宣言した
「働きます!」
なんか楽しくなってきた


つづく





サルルくんのぬいぐるみ

 高校なんか行くつもりの無かった僕は
まったく勉強しなかった
漫画家になることが夢だったから、勉強なんて必要ないって思っていた
ただ、漫画家になるための具体的なことは何にも考えていなかった

母の勧めで、富士製鉄を受けた
ここは働きながら高校に行かせてくれるのだ
しかし、行くつもりのまったく無かった僕は試験勉強もせず案の定落ちた

当時、僕のクラスで進学するのは半分くらいだったと思う
秋田の肉屋に就職した奴とか
東京に行った奴とか・・・
まだまだ、集団就職の雰囲気は残っていたのだと思う

進学するつもりが無かった僕が考え直したのは
手塚治虫先生の漫画家入門を読んだからだ
それには「漫画家になるのなら、高校くらい卒業したほうがいい」と書かれてあった
当時の漫画家は中卒ばかりだったような気がしていたので(失礼)
中卒でもなれると思っていたし、母ひとり子供三人の家庭では、高校に行けるような経済状態でも無かった
兄も中卒で働いていたし、中学卒業したら働くのが当たり前だと思っていた

しかし、定時制なら行ける!
兄の同級生も行っていた(啓明高校)と言うのが輪西にあった
そこは定時制専門の高校だ

入学試験前日あわてて勉強したおかげかどうか分からないけど、運よく受かった
とは言っても、募集人員より受験者のほうが少ない状況だから、受かるのが当然って感じだ

1学年1クラスで40名ほど
4学年4クラスだ、単純計算で全校生徒160名
しかし、毎年退学していく生徒がかなりいるので、4年生は半分くらいしか居ないかもしれない
働きながら4年間も通うのは大変なんですね・・・
僕も1年の10月に退学したので、大きなことは言えません(笑)

クラスの年齢構成はバラバラ
中学卒業してすぐに入学した生徒は半分弱
20歳過ぎの人もたくさん居た

中学では、ちょっと不良で威張っていた生徒も
年上の同級生に「静かにしろ!」と怒鳴られて言い返せなくて黙っている
そんな風景はおかしかった

昼間ガラス店で働いて、夕方バスに乗り定時制に通う
そんな生活は楽しかったような気がする
片思いの女の子もできたし・・・

そんな楽しい生活だったはずなのに
「東京に行こうか?」って友達の誘いに乗ってしまったのは何故だろう?
やっぱり、片思いで終わってしまった恋と、都会の生活への憧れだろうか(笑)





 ポコプリ外伝・モテキ

ポコポコ王女はトラのジョーに携帯メールをしていた
(腹減った!タコ焼き買ってきて)
トラのジョーにたこ焼きを買ってくるようにメールしていた
送信ボタンを押して、ソファに横になる

機種変しようと思っているのだけれど、いまだに3年前の携帯のままだ
早くスマホにしたいのだけど、お店に行くといつも混んでる
せっかちなポコポコ王女は待つのが嫌いだ
だから、ラーメン店の行列にも並んだことがない
並ぶくらいなら、不味くてもいいからガラガラの店に入る
どうせ、味音痴だから関係無いし

早く、スマホにしたい!
もちろんiPhone4Sだ!
MOTOROLAとかGALAXYとかXperiaなんて嫌だ!
みんなと話が合わなくなるのは嫌だ
iPhone4Sにしていろんなアプリ入れてみんなに自慢したい
iPhone4S
iPhone4S
iPhone4S
そんなにiPhone4Sのこと書いていると、アップルに幾らか貰っているんじゃないかと思われるかもしれないけど・・・貰ってません!

「モテキ」の三巻目を読み終わった時、トラのジョーがたこ焼き買ってきた

「遅いわね〜!お腹空いたじゃないの!」
「何だよ!俺だって忙しいんだ!会社が終わってすぐに買ってきたんだからな、少しは感謝しろよ!」
「はいはい、ありがとう、これでいい?」
ポコポコ王女は袋からタコ焼き出してかぶりついた
「はぐはぐ・・・う〜〜〜ん・・・美味しい〜〜〜ジョーも食べていいのよ」
「当たり前だ、俺が買ってきたんだからな」
「ふふっ、そうやってふくれてるジョーって可愛い」
「何言ってやがる、本気で思ってるわけじゃないのに・・・もしかして、俺の事好きなのか?」
「・・・・・・・」
「好きなら好きって言ってみろ!」
「・・・・・・・」
「何とか言えよ〜〜〜!・・・・・・そうだよな、こんな俺がもてるわけがないさ・・・今までだっていいことひとつもありゃしない・・・仕事だっていまだに派遣だし、去年までは太ってたし、もてるわけがないさ・・・」
「そんなことないわよ、こうやって私のわがまま聞いてくれるし、優しいわよジョー」
「じゃあ、俺の事好きなのか?・・・俺は分からない・・・ホントにポコポコ王女が好きなのかどうか・・・土井さんのことも忘れられないし・・・こんな俺なんかにかまってないで、どこかの国の王子様と付きあったほうがいいぜポコポコ王女」
「どうしてそんなに悲観的なのよ!もっと積極的になったほうがいいんじゃないの?私のこと好きなんでしょ?好きって言ってごらんよ!」
「そんなこと言えない!だって俺は童貞なんだから〜〜〜!」

執事のネズミ爺さんが紅茶を持ってやってきて
二人のやりとりを聞いてびっくり
「トラのジョーさん、童貞だったんでしゅか?」

ポコポコ王女とトラのジョー、ネズミ爺さんを見て笑った
「やだ〜〜!モテキごっこしてただけよ」
「俺が童貞のわけないですよ」

「はあ・・・モテキごっこ?最近の遊びは分からないでちゅね・・・」
ネズミ爺さん首を傾げた・・・


つづく







 

ママが行方不明になってしまったの〜〜〜!」

そう言って、人魚ウマのピー子さんがブータくんのおうちにやってきました

ブータくん、サルルくん、カッパーくんは緊張して立ちあがりました

 

「大変なのよ〜〜〜〜!
昨日、あたしは夕方お店を開けて、お通しを作ってたんですの

その日のお通しはマグロにしようと思ってね、マグロの切れ端を一口サイズにカットして、ショウガを薄く千切りにして、お鍋に煮汁を沸かして、マグロとショウガを加え、煮立ってから落とし蓋をして弱火で10分以上煮込んだら出来上がり〜〜なんてことしながら開店準備してたんですのよ、それでもママが来ないから、あらまたお寝坊してるのね〜〜なんて思ってたの

だからその時はあんまり気にしてなかったの、

常連の人魚ライオンの博士がやってきて、いつものやつ〜〜とか言うから、

いつも飲んでる焼酎のお湯割りを出してあげてさ、

今日もお忙しかったんですか?

ああ、ぼちぼちだね〜

なんて話しながら、あたしはお料理作って、博士はお湯割り飲んでたの

その後、人魚ハトのクックさんがやってきて

チーママ知ってる?

なんて言うから

あら、なんですの?なんて言ったら

クックさんハト胸突き出して

北の町で無免許クジラが酒気帯び泳ぎでコンビニに突っ込んだんだよ

って言うからびっくり!

博士もびっくりして

最近無免許クジラが多いんだよなぁ、ああいう手合いに限って、アクセルとブレーキを間違えるんだ、なんて言うから、

やっぱり、クジラはマニュアルだよね、オートマだから間違えるのよ〜なんてしばらく三人でその話題で盛り上がっちゃってさ、ママのことすっかり忘れちゃったの

気が付いたら10時過ぎてて

あら、ママ本当に遅いわね〜って、ちょっと心配になって電話してみたのよ、何回も何回も呼び出し音鳴らしたけど、それでもママ出ないし、博士が

焼き鳥盛り合わせ〜なんて言うから、電話切って焼き鳥作ってたのよ、そしたら4人連れのお客さんが入ってきて、大急がし、クックさんは飲みすぎちゃってお店の中飛び回るし、博士は大きな声でライオンキングの歌を唄うし、4人連れの客は女のことで喧嘩始めるし、もう大変〜〜!そんなわけでママのことすっかり忘れちゃって、閉店時間来たから、みんなに帰ってもらって、火を消してお店閉めたの

明日はきっと来るわよね

なんて一人で勝手に思いながら帰ったの・・・

帰ってからお茶漬け食べながら夜中のテレビ見て寝たのよ〜

朝起きてから、ちょっと心配になって、ママの家まで行ってみたのよ、そしたら鍵がかかってるし、ママはいないし・・・

あら大変!もしかしてこれは事件?

って思って、ブータくんのところに来てみたの」

話し終わってコップいっぱいの水を飲んで落ち着いたピー子さん

 

ブータくんたちは何も話すヒマもないまま・・・

 

 

つづく

 

 

 生命は海で生まれ、海に帰る

ここは海の中のマーメイドタウン
地上に住めなくなった動物たちは、また海に帰っていきました
上半身は動物、下半身は魚
つまり、人魚の動物版、アニマルマーメイドです

人魚ブタのブータくんは10歳の男の子
10歳だけど詩人です

時々海面から顔出して空を眺めます
キラキラ輝く星が大好きなブータくんなんです

そら そら そら
ほし ほし ほし
ほしがおちるとひとでになる
ほしがたくさんおちると
うみのなかは
ひとででいっぱい

まあ、10歳の男の子の詩ですから
大目に見てください

ブータくんの彼女は、人魚ゾウのパオルちゃん10歳
パオルちゃんはとってもオシャレな女の子
アイドルを目指している
でも、ブータくんのことが大好き

「彼氏なんていないですよ〜ぜんぜんもてないし〜〜」

アイドルなので、一応そう言ってる

「週刊誌に写真撮られたらどうしよう〜〜」
そんな心配しているけれど、まだ小学生だから週刊誌に載るはずがない

ブータくんの友達は、人魚カッパのカッパーくんと、人魚サルのサルルくん
みんなおんなじ小学生

カッパーくんは女好き
サルルくんは恥ずかしがり屋のオタク少年
実は三人はマーメイド少年探偵団なのです!

今日も三人で集まって、ブータくんのおうちで遊んでいました
ブータくんは詩を書いて
カッパーくんは女の子にラブレター書いて
サルルくんはアニメ見てました

そこに人魚ウマのピー子さんが駆けこんできました

「ブータくん大変!事件よ事件!」

人魚ウマのピー子さんは近所の居酒屋のチーママです

「ママが行方不明になってしまったの〜〜〜!」

三人は立ち上がりました
「ボクに任せなさい!」

マーメイド探偵団は事件を解決できるのでしょうか?


つづく



  • 2012.05.20 Sunday
 母はアイヌ人です

今は廃線になってしまいましたが
北海道南部にある鵡川という駅から日高町まで、富内線が走っていました
そこの旭岡という駅が祖母の住んでいた場所です
駅の周りには何も無く、祖母の家までは、川を越え、崖のような坂を登り
一時間くらいかけて歩いて行ったと思います

平屋の家には部屋が四つか五つくらいあったようですが
当時は祖母が一人で住んでいたので、使用している部屋は二つだけでした
使われていない部屋には雑然と物が積まれ、アイヌの椀などが転がっていました

祖母は口の周りに刺青を入れていました
もちろん、昭和生まれの母には刺青はありません

11人兄弟だと聞いたことがあります
祖母の家には軍服を着た長男の写真が飾られていました
僕らが知っているのは「焼酎おじさん」と呼んでいた酒臭い兄だけです

母がどういう理由で田舎を出たのかは、分かりません
僕が物心ついたころには、親戚付き合いが殆どありませんでした

僕の一番古い記憶は
北海道苫小牧に住んでいた時のもので、3歳くらいだと思います
ずっと長い間、僕の本籍は「苫小牧王子町」でした

飲み屋で働いていたころに父と出会い、結婚
男の子が三人生まれ、僕が小学二年生の時に離婚
離婚後はずっと飲み屋で働いていました
最期も飲み屋で倒れ、そのまま亡くなりました

輪西で「照美」をやっている頃
店と部屋との間にあるドアに小さな穴が開いていたので
僕は時々そこから店内をのぞいていました
小学校の担任の先生が店にやってきたことがあります
穴から覗くと、先生と母がキスをしてました
子供心に「先生もただの男なんだな」と思ったのを覚えています(笑)

東京で落ち着いたころ・・・30年前くらいかな・・・
一度東京に呼んだことがあります
帰った後も、飲み屋で働きながら東京の話をしていたそうです
それだけが、親孝行ってところでしょうか




  • 2012.05.16 Wednesday
 山田洋次監督作「馬鹿まるだし」の主人公、安五郎の左腕には「男一匹」という刺青があるが
私の父の左腕にも同じ刺青があった
映画は1964年のものだから、映画に影響されて彫ったわけでも無いだろう
戦後の流行りだったのかな?

父は大阪生まれ
北海道に流れてきて母と出会ったらしい
大阪に居られない訳でもあったのかもしれない

私が覚えている父は、小さな印刷会社で働いていた
お酒はほとんど飲めず、下戸だったらしい
小学二年の時に離婚した

離婚した後の私と兄の誕生日(私と兄は3年違いの同じ誕生日だった)
その夜、父はケーキを持って訪ねてきた
母は店に行っていたので、狭いアパートに居たのは、私たち3人兄弟と、母の愛人・・・いやパトロンかな・・・不動産屋の近田
父は近田を見つけると包丁を振り上げて切りつけようとした
父と一緒に来ていた若者が必死に止めていたのを覚えている
近田は逃げ出した

その夜が父に会った最後

兄はそれから20年以上経ち、母が亡くなってから、大阪まで父に会いに行った
父は大阪で再婚し、子供が一人いた、私たちにとっては腹違いの弟ってことになる

私は結局父には会わなかった
会いたくなかった・・・
父の葬式にも行かなかった

私に取って父は小学2年生の時から居ない存在だ




 小学5年生の時
中学生の兄貴と二人で納豆売りをした

輪西町の太平洋側は、急な山になっていた、それでも家を建てて住んでいる人はたくさんいる
室蘭は平地が少ないので、そういう所にまで家を建てるのだ
車道は通っているが、遠回りしないと上まで行けない
歩いていく場合は急な階段や坂を登っていく
店なども無いので、不便な場所だった

僕の家は飲み屋をやっていたので、町の繁華街にあった
兄貴は、前の日に家の近くで納豆と卵を仕入れ、3円から5円ほど上乗せして山の上で売ることを考えたのだ
面白そうだったので、僕も付き合った

登校前に二人で納豆と卵を抱え、山の上に行った
少しだけ売れたが、そんなにぼろ儲けってわけでも無い
二回目の時に兄貴が崖から落ちて、卵が全部割れてしまった
おまけに、風邪もひいてしまい、納豆売りはそれでおしまい
残った納豆と卵は家族で食べた(笑)

兄貴が鑑別所へ行った後
僕は小学6年から新聞配達を始めた
北海道で一番読者が多いのは、今でも「北海道新聞」だと思う・・・
僕が配達していたのは「北海タイムス」と「室蘭民報」
室蘭民報は(確か・・・)朝刊だけの新聞で、4ページしかない
でも、室蘭市内の記事は細かいので、それなりに読者は居た
一か月の新聞配達代は1000円
室蘭民報の新聞代金が500円の頃だ

当時、新聞配達をしていたのは、小学生と中学生
みんな徒歩で配達していた
冬は大変だった

中学に入る時に室蘭の外れの本輪西に越したので、中学一年生の時は新聞配達はやらなかった
二年になって同級生に紹介してもらい
今度は「北海道新聞」の配達を始めた
自転車に乗れなかった僕は、やっぱり徒歩(今は乗れます)
配達代は3000円から5000円だったと思う

室蘭では、元旦の新聞は大晦日の夜に配達していた
みんなが紅白歌合戦を見ている頃、分厚い新聞をソリに乗せて運んでいた

中学卒業まで新聞配達を続けたので(もちろん朝夕刊)
夕方放送している子供番組はほとんど見ていない
アニメも全然見る時間が無かった

日曜日には近くのゴルフ場でキャディのバイト
中学生と高校生、たまに大学生も来ていた
これは結構儲かって、一日1400円が最高の儲けだ
少ない時は700円

バイト連中の休憩室は、本職のキャディさんと同じ建物にあったので
キャディさんの着替えを見るのが、僕たち男連中の楽しみのひとつでもあった
キャディさんは若い人もいるが、ほとんどがおばさん
そんなおばさんの下着姿見て興奮していたなんて・・・若かった・・・


つづく



最近、朗読会なんて大それたこと始めたために、創作する時間が無くなってしまった・・・
せっかくブログ開設したのに勿体ないから、何か書かなくちゃ・・・
それに、最近また十二指腸潰瘍になったりして身体の衰えも感じでいるので(笑)
今のうちに書いておかなくちゃ、死んじゃうかもしれないので・・・
なんて理由で、鴫野が歩んできた道のりでも記録しておくことにしました(笑)
興味無いかもしれないけど、創作よりも面白いかも

まず、室蘭のことから書きましょう
北海道の道南地方
昔は富士製鉄と呼ばれた新日本製鉄室蘭があります
アイヌ語ではモルエラン
私は小学校の頃から上京する15歳まで住んでいました
今は母も兄も亡くなり、義理の姉が隣町の登別に住んでいるだけです

小学校1,2年は輪西町の大和小学校の通い、2年の途中で両親の離婚により、 同じ輪西の大沢小学校の転校しました
中学からは室蘭のはずれ本輪西の港北中学

大沢小学校の頃、母親は輪西の4条というあたりで飲み屋「照美」を経営していました
ボックス席がひとつに5人くらい座れるカウンター席
その店の裏に母子で住んでいました
小さな店が並んでいる一画なので、裏の住居部分には窓もありません
しばらくして、テレビの横の壁に窓が出来た時は嬉しくて窓の下に座っていたものです
でも、窓を開けても見えるのは隣家の壁
それでも、壁よりはガラス窓のほうが気持ちいい感じがしました

兄貴が少年鑑別所に行って不在の間
私と3歳下の弟は半年くらい銭湯に行きませんでした
母は仕事が忙しいので、子供のことなんか気にしません
身体検査で恥ずかしい思いをしたので、半年ぶりに銭湯に行きました
身体のあちこちに垢がこびり付いて取るのが大変でした
それも楽しい思い出・・・そんなわけないか(笑)

つづく予定



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